商売のうまいヤツは声がデカい

商売のうまいヤツは声がデカい

経営者という人たちに会うとだいたい声がデカい。どこかのパーティー会場なんぞに呼ばれて、誰が社長なのか?分からないに場所でほったらかされたとしよう。

 

でも、だいたい「声」で分かったりする。一番デカい声で盛り上がってる「あの人」…「あの人」が創業者だったりする。

 

なぜなのか?考えてみた。

 

あいつだろ?社長は(笑)

経営者は自信家だ

多くの成功してる経営者は「自信家」である。そうでないとやってられない。

 

今YouTubeなどでも、若いイケメンのマコなり社長とかが、とっても為になる話をタダで語っている動画があるが、だいたい声がデカい。

 

むしろ「声がよく通ってる」というべきか?

 

プロの観点からいうと

 

声に意思が込められている

 

ということをとても強く感じる。

 

自信というのは声によく現れるものなのだ。

 

 

マコなり社長すげー

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自信が声に現れてる

会社経営とは本当に難しいものだ。だいたい作る会社のほとんどはツブれる!

 

国税庁の資料によると、会社を作って5年後の生存率は15%だ(←諸説あるよ、でもまあ聞いて!)

 

起業というのは超キビシイのだ

 

 

現在のコロナの自粛で状況はさらに厳しくなっているだろう。

 

こんな厳しい状況の中、生き残っている業績をあげている会社の経営者は「自信が無いわけない」のだ。

 

こういうヤツは仕事が出来る

 

もちろん不安はある。不安はあるが

 

このような非常事態でも関係ないよう、必死で開発したんだもん!そりゃ売れるだろう!売れてくれないと困るよ!という自負がある

 

声にそれが出るから面白い

 

若くてもオジさんでも、だいたい商売のうまいヤツは声がデカい!のである。

 

楽しいとついつい大声になる?

声のデカさにも色々ある

 

声のデカいイケイケ経営者

イケイケの経営者が声がデカいのは、まあ誰でも簡単に想像がつくだろう。

 

だいたい、こういう社長(会長)たちは、豪快な性格の人だ

 

 

酒を飲んでても楽しい。そして話が止まらない。今は自粛だが、おネエちゃんのお店なんかに行っても、

 

声がデカいし、金払いがいいし、すぐに人気者になる。イケイケだ!

 

 

静かな理系の経営者(技術系の会社)

しかし、割と静かな経営者さんというのがいる。だいたい理系の会社の経営者さんだ。

 

 

電気製品のパーツとか、難しい医療器具の開発をしたりしてる会社、そういう会社の社長さんは、静かなオジさんが結構いる。

 

 

決して大声ではないが、コツコツ頑張る人

 

インタビュー(がっちりマンデー)などでも、淡々と静かに自分の業績をしゃべるのだ。

 

しかし!こういう理系の静かなオジさんでも

 

会社の朝礼では

「よく通る声」

になっている

 

 

何度か、そういう理系の工場の朝礼をみたが、もの静かな社長さんが、必死に部下たちに何かを伝えようとしている。

 

訴えようとしている。今ピンチなので必死でガンバってもらいたい!というような話をしていた。

 

実は我が社はピンチです

 

 

決して話し上手ではない(だろう)理系のオジさん経営者が、必死に部下たちに説明しているのだ。

 

大きな声にならざるを得ないのだ。通る声にならざるを得ないのだ。あれはつまり…

 

伝えないといけない!必死さの現れなのだ

 

経営者というのは、理系でも文系でも、どうしてもそういう道を通らざるを得ないのだ。

 

人を束ねて行かなければならないのだ。長年に渡り経営をしているとどうしても声が通る人になってくる。

 

つまり

 

 

リーダーになると、

どうしても声がデカくなるのだ

 

イケイケ経営者でも、理系オタク経営者でも、

狼系でも、ヒツジ系でも

生き残る為には大声になるしかない

 

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声がデカいことは自信を生む

声がデカいイケイケ社長は、部下たちを必死に鼓舞する。静かな理系経営者でも、切々と訴えてくる。

 

伝えようと必死になってくる。すると、必然的に声が通るようになってくる。つまり、、、

 

商売のうまいヤツは声がデカい!

 

 

となる。

 

 

声の大きさを利用して元気になる方法

だったらこれを逆から利用して、声で自分が元気になろう!と思わないか?、逆サイドから考えて欲しい。

 

声が人の心をふるい立たせるのなら、自分から大声を出して自分をふるい立たせてみる!?

 

それが出来ると思わないか?

 

そうなのだ、自分から大きな声を出すのだ

 

全身全霊を込めて声をだす

 

あの声がパワーをくれた!エナジーをくれた!

 

そんな経験はないだろうか?きっとあるだろう?。声にはそういう作用があるのだ。

 

 

だからそれを利用して、大声で自分を元気にするのだ。自分にパワーを与えるのだ。自分が元気になるように。

 

さあ、大声で叫んでみよう!

 

なんくるないさー!

 

なんで沖縄??はおいといて(笑)、元気な声は、あなたを元気にするのだ。

 

沖縄の元気なオジさんは細かい理屈にはこだわらない感じがするからいいのだ!

 

 

 

商売のうまいヤツは声がデカい!

 

だから、

 

声をデカくして商売をうまくやろうぜ!

 

という逆転の発想なのだ。

 

       自信を持つと声が出てくる!

 

 

元気がなくなったら、デカい声を出してみないか

意気消沈してたら、デッカい声で叫んでみないか?

先行き不安だったら、デカい声で元気にならないか?

 

なんくるないさー!!!

 

 

声は、本当に不思議だ

声は、自信につながっている

声は、あなたを元気にする

 

 

商売のうまいヤツは声がデカいのだ。

 

 

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 木村 匡也

 

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アナウンスも英語も筋肉運動と一緒だった!

アナウンスも英語も筋トレと一緒だった!

などと言うと、「いや違う!」と全力で否定されそうだが、、、他(ほか)でもない、昔の自分から全力で否定されそうだ。だいたい体力とか運動とかに全く縁がない「超文化系」だったからこういう仕事を始めたのだ。体力があれば人生は違う方向に行っただろう。

しかし、そんな文化系な自分でも、30年以上たって、そう思うようになったんだから、やっぱり実感としてナレーション・アナウンスなど文化系の仕事も、筋トレなどの運動と一緒で、繰り返し続けてる人の方が、サッと出来る技術をキープできる!という側面があるのだな。だから練習・稽古というものは毎日コツコツやる方がいいのだ!

 

自粛していた分、多少ワザが鈍っている

例えば、板前さんなどが毎日ものすごい魚をさばいていたとして、その人がこの新型コロナのせいでパタッと仕事がなくなったとしよう。自宅待機の状態になったと思ってくれ。20年も30年も毎日刺身を切り続けた腕は、もちろんそう簡単に落ちることはないだろう。

 

が、しかし!

 

 

 

やはり微妙な感じで腕に鈍(にぶ)るのだ。

 

刺身がいつものようにスッと切れない!

 

そして、刺身というのは、包丁の切れ味によって「味」が全然変わるのだ。

 

もちろんスパッと切れた方が、美味しい刺身になる。

 

きっと今多くの刺身職人が、、、悲しみのどん底にいることだろう。

それはビフォア・コロナの考え方

我々もそうなのだ。30年近く毎日毎日いろんな番組をやって来ってて、絶好調のときもあったが、中には、うーん、だるいな〜この番組。あんまり面白くないな〜、技術の向上にならんな〜と思うこともあった。しかしそれは言ってみれば、、、、

 

 

仕事があるのが当たり前だった、ビフォア・コロナの考え方だったのだ。

現場の緊張感の中で生み出されている技術!

声がさびつかないように自宅で「声出し」はやっているものの、やはり仕事で鍛えた腕というものは(私はノドだが)TVスタジオで声を出してこそ、キープされていたのか…とも思う。現場の独特な緊張感の中であの技術は生み出されていた。それは間違いない。

 

 

 

いかん!〆切が近い!やばい、今日何時までに絶対にこのVTRを仕上げなければ!ワシらは死刑にされる!という緊張感が我々をふるいたたせていたのだ。事実、本当にモノを投げつけてくるような残忍なプロデューサーたちがゴロゴロいた時代であったし、私はそういう現場で育ってきた。

 

 

 

今すでにいくつかのレギュラー番組を再開しているのだが、どこか微妙な点においてまだコロナ前のレベルに追いついてないのでは??という不安が残尿感のように残っている。

 

残尿感はアンタが歳だからだろう?っていうのは、ほっといてちょうだい。

 

 

もちろん、テレビ局のスタッフたちに、「ねえ?大丈夫だった?きちんと声出てる?」と確認はしている。ダメなら遠慮なく言ってね!?と言っている。幸い今の所スタッフからは「ああ、全然大丈夫ですよ」とオッケーもらっているのだが、なーーんか自分としては、まだ納得がいかない気がしてしょうがない。

 

もうちょっとキレッキレにパキーン!と声が出ていたレベルだったよな?そこに戻れてないような?気がしている。気のせいかな?

 

 

まあ、声がパキーン!と出る〜という感覚が普通の人には分からないかも知れないが、絶好調のときはもう、パキーン、パキーン!という感じで、自分の声がVTRのナレーションベースにサク!サク!っとハマっていくのが分かるほどなのだ。

 

英語も同じ、繰り返しの筋トレだった

驚いたのは英語も同じ筋トレ系の運動だったのだ。自宅にいる時間がたっぷりあるので、YouTubeやアマゾンプライムなどを見ている。ただ漠然と暇つぶしに見るのもイヤなので、できるだけ英語の勉強になるように何らかの英語を耳にするようにしていた。

 

私の場合は「ある特殊な英語」だ。すると不思議なことに、その「ある特殊な英語」のリスニング力が上がっているのだ!あらー、、、不思議

 

私はアメリカ留学はしていたので、アメリカ英語にはそう抵抗はないのだが、オーストラリア人が言ってることがさっぱり分からないのだ(笑)オーストラリアでも、テレビ番組とかだったらまあまあ分かるのだが、あの人らの日常会話が全然分からん。ストリートのオージーが言ってることが全くちんぷんかんぷんだった。

 

なんや〜きさん!

 

シドニーやメルボルンに言ったときは言うに及ばず、ワイナリーを巡ってハンターバレーあたりまで行ったときには、全然分からんので会話がトンチンカンになって爆笑の連続だった。

 

このコロナ自粛で、せっかくなので、いくつかオーストラリア人やイギリス人の訛りの強い人のVTRを何度か見ていたら、あーら不思議、あの全然分からなかった訛りが聞こえるようになっているのだ!やはり「聴く力」も筋トレと一緒なのだ。

 

 

筋トレ、筋トレ!これも筋トレ!

 

 

面白いなー。聴くと喋る、ってやはり何かの共通点があるのだな〜と今しみじみ感じている。

 

だからアナウンスの練習は毎日やりなさい!英語も毎日やりなさい!

 

なのだ。結論はこれだ!

筋トレやりたい人は筋トレしなさい

 

 

 

 

木村匡也さんテレビの評議員になる!?

木村匡也さんテレビの評議委員になる!?

同じ仕事を長くやり続けていると、ひょんなことからスゴイことを依頼されたりするものだ。なんとナレーター(しかもフリーの)にテレビの評議員の依頼がきた。愛するテレビに恩返しをするべくありがたく拝命した

テレビを評価するとは、大量の番組を見ることなり

 

受けたはいいが、この大役。なめたらアカンで〜マジで膨大な時間のテレビ番組を見なければいけない。もうみて、みて、見まくった。見すぎて、疲れて、死んだよ!マジで。

これは正直、ボランティア精神がないと務まらない。TV愛がないと出来ない。

 

 

今までワシらは某番組審議委員の人ら(秋○さんとか)をボロカスに言っていたが、彼らは本当に貴重な時間を割いてテレビのために提言をしてくれていたんだ〜!ということが分かって涙が出た。ワシがバカでした。すいませんでした。

 

 

そしてできる限り不偏不党、一切偏りのない評価を出したつもりだ。自分が今までどのテレビ局と一番多く仕事をしたか?といったことは徹底的!に封印して、できる限り中立に、そして公平に各番組を評価した。TVが良くなるための提言をした。

 

評価するためにテレビを見たことある?

 

とはいえ、最初はどうしていいのか?さっぱり分からなかった。テレビをどう評価するのか?と聞かれたら多分、自分が好きか?嫌いか?で評価してしまうんじゃないかと思う。でも、それじゃいけないんじゃないかな??と思ってしまったのだ。すると…なんて表現したらいいんだろう?箸が進まん!じゃないけど、見るファイトが全然わかない。

 

テレビって普通は考えながら見たりしないので、変に「よーし!評価のため見るぞ!」とか思っちゃうと考え込んで全然頭に入ってこないのだ。ウヘー、、、テレビ見るのがツラいなんて人生で初めてじゃー。

 

素直に正直に提言すればいいんじゃないですか?

 

悩んでいたとき、偶然、『M 愛すべき人がいて』の小松成美さんに相談してみた。ちょうど小松さんもテレビの審議委員会に参加していたのを知っていたので、藁にもすがる思いで聞いてみた。すると、「キョーヤさんらしく正直に提言すればいいんじゃないですか?」とさらった言ってもらった。さすが!作家先生は違う。この助言がとてもいい助けになった。

 

放送作家の高須(ダウンダウンのお友達ね)さんとか、元日テレの村上和彦(スッキリ作った人)さんとか、某局のPとかと、飲んでダベっていたことがとても参考になった。

 

 

新議員会は意見のぶっつけ合いの場でもあった

しかし審議員会に出てみると、スゴイ人たちが参加していた。もうみなさん歴戦のツワモノばかり。ワシは初参加だがみなさん十分に経験がある。なのでバッサバッサと切りまくる。他の方との見解の違い、そして皆さんのコメントの切れ味に心底ぶったまげた。

 

ワシは現場的な見方しか出来ないが、元編成マンの人もいて、作り手だけじゃない見方を提示してくれ、とても参考になった。みんな真剣に評価しているんだ(当たり前だが)みんな厳しくもテレビ愛の塊な人ばかりだった。

 

 

ナレーターが新議員になる前例

 

「ナレーター」がこういう集まりに呼ばれるのは多分初めてだろう。よき前例になるため、後に続くナレーターたちのために、本気の本気でやらせてもらった。我々から見えているテレビの意味を分かってもらいたい。ナレーターもテレビをよくするために包括的に番組を見ているんだ!ということを分かってもらうために必死でやった。

 

このチャンスを与えてくれた巡り合わせに心から感謝を捧げたい。