今年2020年はイヤー・オブ・杉原千畝
杉原千畝(すぎはら・ちうね)と聞いて、もし知らなかったら…大丈夫です。今日から覚えましょう。もし若い世代の人たちが知らなかったら、私たちの責任です。すいません、先生たち、学校、テレビなど、私たちが教えるべき人です。
イスラエルには杉原千畝の名前がついた通りがあります。リトアニアには杉原記念公園まであります。我が日本ではどうでしょうか?
杉原千畝は4000人とも5000人とも言われるユダヤ難民をすくった世界的な英雄です。イスラエルをはじめたくさんの国で、教科書に載っているほどの歴史的重要人物です。
杉原千畝(すぎはら・ちうね)
ユダヤ難民たちは、なんとかナチスの手を逃れようと、リトアニアにあった日本領事館に来て、ビザを発行してもらおうとしていました。
日本を経由して外国に逃れるためです。
ビザ: 日本への入国を希望する外国人に対し、外国にある日本大使館・領事館が発給する、入国の保証証のようなものです。
入国するにはパスポートと、このビザ、両方が必要になります。もちろん事前に審査があり、誰にでも簡単に発行することは出来ません。
4000人以上ものユダヤ人を救った人
杉原は、本国の外務省に何度も打電し
「この人たちになんとかビザを発行させてください」「このままでは、このユダヤの人たちはナチスに殺されてしまいます」
とユダヤ難民の窮状を訴えました
ところが当時の日本政府はこれを 拒否 します。
そのころヒトラーと三国同盟を結ぶ直前でした。これから友好国になるドイツに対して、そんなことをしたら波風が立ってしまう!というです。
「絶対に勝手にビザを発行するなよ」という命令を送りました。
どうしたらいいのだ?
すでに日本領事館の前にはたくさんのユダヤ難民たちがつめ掛けて、門の鉄柵に寄りかかっていました。
彼らは、領事館の門が開かれるのを、今か今かと、必死に待ち続けています。
「日本のビザを発給してください」
「このままでは私たちは殺されてしまう」
「ナチスから逃れるためビザを発給してください」
どの顔も必死で訴えていました。
さらに悪いことには、そのころ杉原のいたリトアニアは、小国であったためソビエト(今のロシア)の支配下となってしまいました。
リトアニアという国そのものがなくなってしまったのです。
ソビエト政府の要請で、次々と諸国の大使館、領事館は閉鎖されていました。
リトアニアという国がなくなった以上「リトアニア領事館」は閉めなければならないのです。
このカウナスの日本領事館も時間の問題だ…どうする!?どうすればいいんだ!?
苦しみ悩むそのとき、杉原は、群衆に中にいる一人の子供を見つけました。
悲しそうな目をしているその子供の顔を見たとき…キリスト教徒である杉原の心に、聖書の一節が浮かんで来ました。
「町のかどで、飢えて、息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ」(旧約聖書:哀歌 あいか 2:19)
その瞬間、杉原は腹をくくりました。
よし、ビザを出そう!
「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」
と妻に言いました。
「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうして上げて下さい」
と妻の幸子(ゆきこ)さんは答えました。
杉原は独断でビザ発給することを決意しました。
このまま見捨てることは出来ない!
多くのユダヤ人はオランダに逃げようとしたが、もうオランダが厳しくなっている。
彼らを、日本経由で脱出させるのだ!!
どこまで出来るのか分からないが、出来る限りのことはやろうじゃないか。
さあ!ビザを出そう。
こうして日本領事館の門は開かれたのです。
多くのユダヤ難民がドッとなだれ込んできました。そして声をあげながらビザの発給を懇願しました。
決意を固めた杉原は、最大限多くの人にビザを発給するため、朝から晩まで1ヶ月近く、
書いて書いて書きまくりました。
夜には腕が痛くなり、妻がマッサージをしてほぐさなければ痛くて眠れないほどでした。
ユダヤ人を救った英雄
しかし途中、外務省から、杉原に対し横槍が入ります。本省からビザ発給を即時やめるよう通達が来たのです。
条件がそろっていない外国人が、神戸に大量に押し寄せてきたため、杉原のビザ無断発給がバレてしまったのです。
しかし杉原は、この本省からの厳しい叱責を、あれこれはぐらかし〜逆に質問して、わざと時間をかせぎながら、朝から晩まで徹底的にビザを書きまくったのです。
こうして、杉原の「命のビザ」で救われたユダヤ人は4000人とも5000人とも言われています。
日本ではなぜかあまり知られていない
その杉原千畝の功績を讃えるために、今年は、杉原千畝の年「イヤー・オブ・スギハラ」の年なのです。
でも、これは日本ではありません。
杉原千畝がいた、リトアニアで、今年は正式に、杉原の年として、政府公認のイベントがたくさん行われています。
つい先日10月の終わりにも、新しい記念碑の除幕式が行われました。
この新しい杉原の記念碑は、リトアニアのカウナスという町の、あるホテルの前に建っています。
杉原千畝は、リトアニアを去るギリギリまで粘りましたが、ついに日本領事館を閉鎖せざるを得なくなりました。
領事館を閉鎖したあとは、今もカウナスに残る「ホテル・メトロポリス」に移り、そこでさらに書き続けました。
今回、新たに記念碑が建てられたのは、そのホテル・メトロポリスの前なのです。
そして最後は、カウナスの駅でも、列車に乗っても、窓越しにパスポートを受け取り最後の最後までビザを書き続けました。
そのときたくさんのユダヤ人を救ってくれたことを、今でもリトアニアの人々は忘れていません。
この杉原千畝の物語を、リトアニアは国をあげて後世に伝えようとしてくれています。
インスタにもたくさん写真が上がっております。日本でも、ネットでは少しニュースに取り上げられているみたいですが大手メディアはどうでしょう?
どうして日本に杉原記念日とか杉原記念公園がないのでしょうか?
わたしの手元にも、リトアニアの友人家族から、直接写真が送られて来ました。
外国の人はなぜ杉原千畝ほどの人物が教科書に載っていないのか不思議に思うほどです。
もうテレビなどの大手メディアは、ダメなんでしょうね。
いい歳したプロデューサーとかでも、え?杉原、ち、ち、ち、誰っすかそれ?とか真顔で言うし(笑)
どうかネットの皆様!!!もう大手メディアはダメです。ネットからの拡散にご協力ください。拡散していただけると本当に嬉しいです。
私も、微力ではありますが、杉原千畝の偉業を広くお伝えしたく、友人から送られて来たメトロポリス前の写真をここに掲載しました。
今年は「杉原千畝の年」です。命のビザが書かれて80年です。皆様におかれましても、ぜひ拡散してくださいね。
リトアニア国民の皆様に心から敬意を表します。
Labai ačiū 本当にありがとう!
木村匡也